ドイツ国歌の歌詞とその知られざる歴史!

ドイツ国歌とその歴史

今回はドイツの国歌である「ドイツの歌」の歌詞を読み解きながら、隠されたドイツの歴史を紐解いていこう!

「ドイツの歌」は全部で3番まである歌だが、現在では3番のみがドイツの国歌として採用されている。この曲は2度に渡る世界大戦の中で、プロパガンダとして利用された。

今回はそんな曰く付きの国歌「ドイツの歌」を見ていこう!

ドイツ国歌「ドイツの歌」

ドイツ国歌の正式名称はドイツの歌(Deutschlandlied)だ。ドイツ人の歌(Das Lied der Deutschen)とも呼ばれる。

まずは国歌をYouTubeで聴いてみよう。

これは3番のみのバージョン

フルバージョンはこちら。

世界に冠たるドイツ

この「ドイツの歌」だが、日本では1番の歌詞から「世界に冠たるドイツ」(Deutschland über alles)と呼ばれることが多い。

しかし、この呼び名はゲルマン民族を至上の存在と考えたナチスの思惑が反映されており、現在のドイツ連邦共和国の思想とは相反するものだ。

「ドイツの歌」という名称を使用するようにしよう!

歌詞と日本語訳

「ドイツの歌」の歌詞とをその日本語訳だ。

ドイツの歌 (Deutschlandlied)

作詞 : アウグスト・ハインリヒ・ホフマン・フォン・ファラースレーベン
August Heinrich Hoffmann von Fallersleben (1732-1809)

作曲 : フランツ・ヨーゼフ・ハイドン
Franz Joseph Haydn (1798-1874)

Deutschland, Deutschland über alles,
Über alles in der Welt,
ドイツよ!すべてに勝るドイツよ!
この世のすべてに勝れ!

Wenn es stets zum Schutz und Trutze
Brüderlich zusammenhält,
護るときも攻めるときも常に
兄弟のように結束するならば 

Von der Maas bis an die Memel,
Von der Etsch bis an den Belt –
マーズ川からメーメルまで
エチュ川からベルト海峡まで 

Deutschland, Deutschland über alles,
Über alles in der Welt!
ドイツよ!すべてに勝るドイツよ!
この世のすべてに勝れ! 
Deutsche Frauen, deutsche Treue,
Deutscher Wein und deutscher Sang
ドイツの女、ドイツの忠義
ドイツのワイン、ドイツの歌曲

Sollen in der Welt behalten
Ihren alten schönen Klang,
世界はそれを残さなくてはならない
その古く美しい響きよ。

Uns zu edler Tat begeistern
Unser ganzes Leben lang.
我々を高潔な行いへと奮い立たせる
我々の全人生をもって

Deutsche Frauen, deutsche Treue,
Deutscher Wein und deutscher Sang!
ドイツの女、ドイツの忠義
ドイツのワイン、ドイツの歌曲
Einigkeit und Recht und Freiheit
Für das deutsche Vaterland!
統一と正義と自由を
父なるドイツのために

Danach laßt uns alle streben
Brüderlich mit Herz und Hand!
我々すべてを覇気づける
兄弟にように心と手を取り合い

Einigkeit und Recht und Freiheit
Sind des Glückes Unterpfand
統一と正義と自由は
幸福の証

|: Blüh im Glanze dieses Glückes,
Blühe, deutsches Vaterland : |
この幸福の輝きの中
栄えあれ、父なるドイツよ!

*日本語訳は著者が行いました。「Deutschland über alles」の部分は、「世界に冠たるドイツ」ではなく「すべてに勝るドイツ」と訳しました。

歌詞のカタカナ読み

「ドイツの歌」のカタカナ読みも掲載しておくぞ。

Deutschland, Deutschland über alles,
ドイチュラント・ドイチュラント・ウーバー・アレス

Über alles in der Welt,
ウーバー・アレス・イン・デア・ヴェルト

Wenn es stets zu Schutz und Trutze
ヴェン・エス・シュテッツ・ツー・シュッツ・ウント・トルッツェ

Brüderlich zusammenhält,
ブルーダリッヒ・ツザンメンヘルト

Von der Maas bis an die Memel,
フォン・デア・マース・ビス・アン・ディ・メーメル

Von der Etsch bis an den Belt
フォン・デァ・エッチュ・ビス・アン・デン・ベルト

Deutschland, Deutschland über alles,
ドイチュラント・ドイチュラント・ウーバー・アレス

Über alles in der Welt,
ウーバー・アレス・イン・デア・ヴェルト
Deutsche Frauen, deutsche Treue,
ドイチェ・フラオエン・ドイチェ・トロイエ

Deutscher Wein und deutscher Sang
ドイチャー・ヴァイン・ウント・ドイチャー・ザンク

Sollen in der Welt behalten
ゾ-レン・イン・デア・ヴェルト・ベハルテン

Ihren alten schönen Klang,
イーレン・アルテン・シューネン・クラング

Uns zu edler Tat begeistern
ウンス・ツー・エドラー・タート・ベガイスターン

Unser ganzes Leben lang.
ウンザー・ガンツェス・レーベン・ランク

Deutsche Frauen, deutsche Treue,
ドイチェ・フラオエン・ドイチェ・トロイエ

Deutscher Wein und deutscher Sang
ドイチャー・ヴァイン・ウント・ドイチャー・ザンク
Einigkeit und Recht und Freiheit
アイニッヒカイト・ウント・レヒト・ウント・フライハイト

Für das deutsche Vaterland!
フュア・ダス・ドイチェ・ファーターラント

Danach laßt uns alle streben
ダナ-ハ・ラスト・ウンス・アレ・シュトレーベン

Brüderlich mit Herz und Hand!
ブルーダーリッヒ・ミット・ヘルツ・ウント・ハント

Einigkeit und Recht und Freiheit
アイニッヒカイト・ウント・レヒト・ウント・フライハイト

Sind des Glückes Unterpfand.
ズィント・デス・グリュ-ケス・ウンタープファント

Blüh' im Glanze dieses Glückes,
ブリュー・イム・グランツェ・ディーゼス・グリュ-ケス

Blühe, deutsches Vaterland.
ブリューエ・ドイチェス・ファーターラント

ドイツ国歌の歴史

ドイツ国歌の誕生から現在までの歴史を追ってみよう。

アウグスト・ハインリヒ・ホフマン

引用: カール・ゲオルク・C・シューマッハーによる肖像画 wikipediaより

アウグスト・ハインリヒ・ホフマンは「ドイツの歌」の産みの親である。

「ドイツの歌」は作詞者であるアウグストが、ハイドンが1979年に作曲した「神よ、皇帝フランツを守り給え」に歌詞を載せたことによって誕生した曲である。

*アウグストはたくさんの童謡も書いており、ドイツで有名な童謡「小鳥たちがやって来た(Alle Vögel sind schon da)」の詩も書いている。

「ドイツの歌」の誕生

アウグストは1798年に現在のドイツ・ニーダーザクセン州にあたるファラースレーベンで産まれる。

若い頃から聡明であったアウグストはギムナジウムにて初めての詩を書く。
大学入学資格を得たのちにゲッティンゲン大学で神学を学んでいたアウグストは、大学の教授であったグリム兄弟のヤコプ・グリムと知り合う。

ヤコプに影響を受けたアウグストは、ボンにてドイツ学とドイツ文学を勉強する。

アウグストは1840年・41年に上下巻からなる詩集「Die unpolitischen Liedern(政治的ではない詩)」を出版し、ドイツの政治と社会を批判する。

また、1841年の8月26日には「ドイツの歌」を書いた。

その後、政府に目を付けられたアウグストは教授の職を解任されたうえ、プロイセン国籍を失い国外追放となる。

1848年の3月革命では、ドイツの統一と団結を願ったこの曲は市民運動のシンボルのひとつとなる。

国歌になった「ドイツの歌」

1848年の革命では統一を果たせなかったドイツだが、1871年にドイツ帝国が誕生することによって統一される。

その後、第一世界大戦中の1914年にこの曲は再び注目されることとなる。
当時のワイマール帝国が戦争のプロパガンダのためにこの曲を使った。

特にこの曲を有名にしたのはランゲマルクの戦いの戦勝報告だった。これは翌日ドイツのすべての新聞の一面で報じられる。

Westlich Langemarck brachen junge Regimenter unter dem Gesange ‚Deutschland, Deutschland über alles‘ gegen die erste Linie der feindlichen Stellungen vor und nahmen sie. Etwa 2000 Mann französischer Linieninfanterie wurden gefangen genommen und sechs Maschinengewehre erbeutet.

「ランゲマルク西方で若い段隊が「世界に冠たるドイツ」を歌いながら、敵の第一陣を突破した。2000名のフランス人を捕虜にし6つの機関銃を押収した。」

1922年8月1日にワイマール共和国の大統領フリードリヒ・エーベルトによって、「ドイツの歌」が公式にドイツの国歌に選ばれる

第二次世界大戦中

第二次大戦中、この曲はもちろんプロパガンダのために使われた。

ナチスは「ドイツの歌」の1番とナチス党の党歌である「旗を高く掲げよ(Die Fahne hoch!)」と組み合わせ国歌とする。

「ドイツの歌」の1番では「Deutschland über alles」という歌詞があり、ゲルマン民族を優れた民族としていたナチスにとっては好都合だった。

さらに1番では、マース川からメーメル川まで、エチュ川からベルト海峡までという広大な面積がドイツの範囲とされている。これには領土の拡大を正当化するために役立った。

敗戦後の国歌

敗戦後、当然ながら連合国は「ドイツの歌」の国歌としての使用を禁止する。

その後、西ドイツでは新しい国歌を制定しようと試みた。

ヘルマン・ロイター作曲の「Land des Glaubens, deutsches Land(信仰の国ドイツ)」を国歌として1950年の大晦日に初演するが、国民の賛同は得られなかった。

その後、1952年に西ドイツがオリンピックに復帰するにあたり、3番の歌詞がドイツの再統一を願う歌詞として適しているという理由から3番のみが正式に国歌となる。